#「猿ヶ島」

 

太宰さんの作品の軸に「絶望すべき時にする絶望とそれに対峙する情熱」があることは、前回のシドッチの無念を元に確認したと思います。

ずっと後に代表作となる「人間失格」だって、人間として生まれてしまった「絶望」そして、そこから抗う「情熱」の物語です。

 

今回の「猿ヶ島」も絶望、そして、それと真っ向から向き合う闘争劇です。太宰治の絶望的鳥獣戯画とも言う作品です。

 

あらすじ

海を越えて、ロンドンの動物園に連れてこられた一匹のニホンザル、私。状況を把握しようと周りを探索していると、もう一匹のニホンザル、彼に出会います。彼の話を聞いていると、私たちを取り囲む人間の群れがぞろぞろと。彼に聞くと、ニホンザルを飽きさせないための見世物なんだとか。しかし、子供の訝しんだ顔が気になり、何を言っているのか聞いてみると、その発言内容から、驚くことに見世物は私たちの方だと言うことがわかります。

居ても立っても居られない私は動物園からの脱走を試みます。彼はここでの生活の不自由を理由に引き止めますが、私は見世物とされた絶望と闘うために、脱走をします。

一八九六年、六月のなかば、ロンドン博物館附属動物園の事務所に、日本猿の遁走が報ぜられた。行方が知れぬのである。しかも、一匹ではなかった。二匹である。

と、結ばれる。彼らは新たな絶望と対峙し、新たな闘いを始めたのだろう。

 

ぶち殺す、翻って絶望

ニホンザルにとって見世物となることが、いかに絶望的であったか。淡々と低い温度で書かれる文体の所々に、突然として現れる灼熱の言い回しが物語っている。

ぶち殺そうと思った。

これは元々いたニホンザル(彼)から、見世物は自分たちと打ち明けられた時の私の心情を綴ったものだ。

「そうか。すると、君は嘘をついていたのだね。」

と、口では落ち着いているが、なんせこの時の心の中は「ぶち殺す」なのだ。この裏返しが、絶望だとすれば、その絶望の大きいことよ。

その直後には、

彼の腕からのがれ、枯木のもとへ飛んで行った。

という。殺意の湧いた相手のそばに居たくないというのは、ごくごく当然のことだろう。

 

しかし、この「ぶち殺す」は騙していた彼に対するものだけだろうか。

その次にこんな一文がある。

彼のいやらしい親切に対する憤怒よりも、おのれの無智に対する羞恥の念がたまらなかった。

つまり、「ぶち殺す」と言う殺意は、本来は私に向けられているのだ。私は、山で捕らわれ、ロンドンに来るまでのことを「むざんな経歴」といって「下唇を噛みしめた」ほど、トラウマ的に人間に怯えている。その人間に見世物として、辱めを受けているのに、それに気付かずにいたことが、そんな私に対して、一番に湧いた殺意なのだろう。

 

境遇の共感

あらすじにもあるように、最後の遁走は、

しかも、一匹ではなかった。二匹である。

のだ。元々いた猿も、私に感化されて、遁走したのだ。

こわくないのか。

と、私を引き止め、

ここはいいところだよ。日が当たるし、木があるし、水の音が聞こえるし、それにだいいち、めしの心配がいらないのだよ。

と、動物園に留まるように引き止めていた。

 

ここに、生活のために己が信条を放棄するのか、というせめぎ合いがあるのだ。

この問題は後々まで太宰さんにつきまとう。生活の安泰が何よりという社会においては、太宰さんのように書きたいもののために生活が犠牲になることがいかに苦しく、そして、そのことを社会から嘲笑されて、どれだけ悔しかったことか。

私は、彼に

ひくい笑い声

を聞いたのだ。

社会の中で安泰を保障されたものは、自分を精神的に殺さないために、その安泰をかなぐり捨てるものを嘲笑うのだ。どちらが勇気が必要で、強くあるかということを忘れて。

彼も、動物園での生活を捨てるという私を、社会に暗喩された動物園の内から笑ったのだろう。

 

しかし、そんな彼は私に感化されて、動物園から遁走する。彼もまた、社会の嘲笑の的へと、自ら成り下がるのだ。

そこには私に対する共感があった。自分と同じように、日本から捕らえられて、ロンドンに連れてこられて、惨めな見世物にされた、自分と同じ悲しい境遇に対する共感が彼を遁走に突き動かしたのだ。

そして、そのことを知るは私と彼だけ。共感に加えて、「私たちだけが知っている」という閉鎖性がより、私と彼を密にする。その結果、彼も私とともに動物園から脱走する。

 

この物語は、「私」が生活を捨てた物語を書いているようで、その実、「彼」にも生活を捨てさせたという社会と対峙する情熱を書いた物語なのだと思う。

 

虚構の遁走劇

この物語は、太宰版鳥獣戯画としては非常に毒が効きすぎている。なんせ、社会を捨てる情熱を肯定する物語を社会に突きつけているのだ。

ただ、そこは、ちょっぴり小心者の太宰さん。

 

これだけ情熱的な物語でありながら、最後にこの物語の虚実性を強く印象付けている。

 

まず、本文最後にある「ロンドン博物館附属動物園」というものは存在しない。

それどころか、当時の新聞を当たってみると、本文にある「一八九六年」に国内外問わず、「動物が遁走した」という記事は見当たらなかった。もしかすると、動物の遁走というのは新聞で記事にもならないような、身近なところからの着想だったのかもしれない。

 

動物園の名前に具体性を帯ながらも、虚実として、あくまでフィクションとして書き上げるところに、太宰さんが作品をあくまで、猿の戯言として書き上げているのが可笑しい。

もしこれが、当時の人が共有しているなんらかの事件のオマージュであれば、猿たちの戯言の意味合いが変わってくる。

 

自分が社会に対して依存し、執着し、媚び売るような文章を書いてしまっていることに対する戒めというか、鼓舞というか。

どちらにしろ、自分が胸の内に強く思うことを猿に代弁させることが、太宰さんの自己肯定感の低さを強調している。

 

〈作品メモ〉