#4「列車」

 

劣等感というやつは実にめんどくさいのに、いつも足元にまどろっこしくついて回る。昇華させるのも一苦労だ。うーん、苦労はしてないか。振り回されて、クタクタになってバカを見る。それでも周りを見渡せば、自分を卑下して次の劣等感とご対面。出会いと別れは繰り返す。

 

今回の作品「列車」の中にそんな劣等感と太宰さんの付き合い方をみた。やっぱり太宰治をもってしても劣等感は付き合いづらい。もっとも、「もってして」なんて言い方をするとあたかも太宰さんが人付き合いが上手なようだが、そんなこともない。

 

同郷の友人が東京で捨てた女の帰省を上野まで見送った日のことを回想した短編が今回の作品になる。

東京まで追っかけて来た身分違いの恋人が疎ましくなってしまった友人の汐田さん。

一少女の出奔を知己の間に言いふらすことが、彼の自尊心をどんなに満足させたか

そう、田舎から追いかけて来た恋人をステータスにしてしまう今でも見るようなイタイというか、側から見ると惨めな男だ。

青森の頃は好きだった女性があったとしても、東京に来れば、他に目移りしてしまう。そこへ来て、田舎の身分違いの昔の女が来たところで初めのうちは自分を追っかけて来たなんて自慢話にもなろうが、次第に飽きてしまう。そうなると、いつまでも隣に居られても迷惑なので、青森に送り返したくなってしまう。ひどい話ではあるが、今も聞く話だ。

そこへ彼女の乗る汽車の時刻が太宰さんの元へ届いたものだから、いたたまれなくなって上野駅まで妻を引き連れ雨の中、トボトボ行くのである。太宰さんはそんな自分を客観的に

軽はずみなことをしがちな悲しい習性があった

というのだ。

道すがら、友人の心変わりを申し訳なく思っただろうか。

太宰さんって親切な人だ。悲しい女性の背中を送ってやろうという正義感。

 

と思うんだが、よく読んでみるとそうでもない。

捨てられた女性への親切ではなく、友人汐田に対する感情を埋める手立てに利用した偽善らしい。

偽善で埋めたその感情というのが、

 

劣等感だ。

 

太宰さんは汐田さんのどこに劣等感を抱いたのか。いくつか引用してみたい。

まず、一緒に連れだった妻についてこんな風に述べている。

妻はテツさん(汐田さんに捨てれた女性)の傍にいながら、むくれたような顔をして先刻から黙って立ち尽くしているのである。

妻を連れて来たのは妻も亦テツさんと同じように貧しい育ちの女だったから

たどたどしい智識でもって、FOR–A–O–MO–RIとひくく読んでいた

とある。

太宰さんは、引き合わせれば会話が弾むだろうと考えるほどに、テツさんと奥さんとを田舎育ちの無教養と、似た境遇の女性だと思っていたようなのだ。それがどうだろう、ふたりとも会話をせずに黙りこくっている。そんなふたりの様子は

貴婦人のようなお辞儀を無言で取り交わしただけ

だったのだ。少しでも励みなるだろうと連れて行った妻はまんまと期待外れだったのだ。

 

妻とテツさん。貧しい田舎生まれで無知な乏しい女性を愛した太宰さんと汐田さん。だが、一方汐田さんは都会の女の為にテツさんを田舎に送り返し、他方太宰さんの元には奥さんが残る。一緒にいる女性の良し悪しがその男性の良し悪しだなんてことは決してないが、世間的に見れば、汐田さんの方が恵まれているように見えるのだろう。

そんな汐田さんに対する嫉妬のようなものが見え隠れしている。

 

さらに、汐田さんについてはこんな風に言及している。テツさんのことを相談に来た汐田さんとの会話を引用してみよう。

ひまな遊戯には同情が持てなかったので、君も利巧になったね、君がテツさんに昔程の愛を感じられなかったなら、別れるほかあるまい、と汐田の思うつぼを直截に言ってやった。

「思うつぼ」とは汐田さんは太宰さんにテツさんと別れるように言って欲しかった、ということだ。そして、太宰さんはそれを言って「やった」のだ。

この言い方の毒に、静かな、しかし、かなり熱のこもった感情が読み取れる。

 

自分が結婚して一緒にいるような女性をいとも容易く捨てる汐田さん。それも、自分の意思でなく、あたかも太宰さんに提言されたかのような他力本願さ。結構ずるい。

そんな汐田さんに対する熱量をもった劣等感。

お付き合いを願い下げたいこの感情を太宰さんは、上野駅まで見送るという正義感に変えて消化した。とは言っても、根っからの正義感なら褒められようが、根底は劣等感だよ。劣等感から生まれたなら偽善だ。

 

太宰治流、劣等感の消化の仕方。それは偽善に変換

消化が関の山で昇華までは行くまい。

 

〈作品メモ〉

昭和八年二月十九日発行の『東奥日報』にて発表。「乙種懸賞創作入選」作として発表される。太宰治の筆名を用いて発表した最初の小説である。砂子屋書房刊『晩年』、ポリゴン書房刊『姥捨』、新潮文庫『晩年』に収録される。